師範の部屋
「指導に於ける心得について」
惣て人を取育て申心持は、菊好きの菊を作り候様には致間敷儀にて、百姓の菜大根を作り候様に可致事に御座候。菊好きの菊を作り候は、花形見事に揃ひ候菊斗を咲せ申度、多き枝をもぎとり数多のつぼみをつみすて、のびたる勢ひをちぢめ、我好み通
りに咲まじき花は花壇中に一本も立せ不申候。百姓の菜大根を作り候は、一本一株も大切にいたし一畑の中には上出来も有へぼも有、大小不揃に候ても、夫々に大事に育て候て、よきもわろきも食用に立て申事事に御座候。
《細井平洲先生著『嚶鳴館遺草 巻之五』平州記念館参照》
「居合に於ける稽古道具の模擬刀について」
かつて幾つかの古武道の演武会にて試し切り据え物斬りを拝見することが有りました。偶々居合わせた剣道の少年達は目を見張っています。そんな彼等に『毎日の様に切っている人が君のお家にも居るよ』と言うとキョトンとしています。 さて、私の父が居合の稽古を始めた頃は模擬刀の出来が悪く帯刀時代の如く真剣で始めた人も多かった様に思います。父もその一人でした。私はその後、父に連れられて稽古を始めましたが、まだ小学生低学年と言うこともあり模擬刀の脇差の、それも組太刀で使っていた傷だらけの刀身で長さも違う二振りを順に使いました。納刀で指が刀身の傷真剣によるものに擦れて痛かったが仕方なく稽古していた記憶があります。暫くして裏庭で父が研究として試し切りをする際には私も幾度となく真剣にて経験させて貰いました。その後中学生ともなると身体も大きくなり居合の稽古には長いものが欲しいと父に言いました。模擬刀が良かったのですが『何年も稽古して今更、模擬刀でも無いだろう、模擬刀を態々買うのは勿体ないから私が最初に使ったのを使いなさい』という事で二尺二寸四分の樋の無い真剣を使うことになりました。ところが、中学校入学直後の最初の稽古で使い始めに遣って仕舞いました。抜きつけで鞘を握る左手親指の中を切っ先が通り抜けました。幸い傷は浅く絆創膏を貼って止血した後は『気合いが抜けとる!』と叱られて見学をさせられました。実際、それまでも大人でも緊張するのか日頃の稽古だけでなく大会演武会場でも沢山の自傷を目にしていました。(私の自傷体験に違和感を感じる方はご家族が料理をしている姿を思い起こして下さい)
初代館長の『書』を展示しています。