歴史散歩
第168回『岩瀧寺』所在地:兵庫県丹波市氷上町香良
嵯峨天皇が弘法大師に命じて、七堂伽藍を建てたと伝えられています。本尊不動明王は弘法大師の御作で、岩窟内に祀られています。
第167回『本願寺堺別院』
所在地:大阪府堺市堺区神明町東
現在の本堂は1825年に再建されたもので、廃藩置県後10年間堺県庁として使用されていました。
第166回『文保寺』
所在地:兵庫県丹波篠山市味間南
文保寺は、法道仙人によって開かれました。法道仙人は、印度から日本に仏教を伝えたと云われている方です。また、本尊は自作の聖観世音菩薩を安置していました。
第165回『霧島神宮』
所在地:鹿児島県霧島市霧島田口
慶胤上人が高千穂峰と火常峰の間に社殿を造られたのが創建とされます。また高千穂峰が日本神話の天孫降臨の伝承地とされる事から、山岳信仰から始まった神社でもあります。
第164回『闘鶏神社』
所在地:和歌山県田辺市東陽
鬪鶏神社の名称は平家物語に由来します。源氏と平氏から熊野水軍の加勢を要請された弁慶の父である湛増が、どちらに味方をするかを紅白7羽の鶏を闘わせ決めようとしました。すると、ことごとく白(源氏)の鶏が勝利したため、源氏に加勢することを決めました。
第163回『清州城』
所在地:愛知県清須市朝日城屋敷
尾張・遠江・越前守護の管領斯波義重によって築城されました。その後尾張を支配する守護代織田家の居城となりました。
第162回『藤堂高虎の菩提寺』
所在地:三重県伊賀市上野寺町
藤堂高虎は戦国時代の武将で「築城三名人」の一人です。数多くの築城を担当し高石垣の技術をはじめ築城の巧みさは、日の本随一といっても過言ではないといえます。関ヶ原以降も徳川家康の側近として活躍しました。
第161回『武田耕雲斎の墓』
所在地:福井県敦賀市松島町
江戸時代末期に、水戸藩内で尊皇攘夷を掲げた天狗党は、武田耕雲斎を首領とした800名で上洛を開始しました。途中、江戸幕府軍と交戦しながら敦賀の新保に到着しましたが、すでに各藩からなる討伐軍に包囲されたため対峙していた加賀藩に降伏しました。
第160回『気比神宮』
所在地:福井県敦賀市曙町
神功皇后が三韓征伐出兵にあたり気比神に祈願をしたところ、海の神を祀るように神託があり、安曇連に命じ気比神を祀らせたのが気比神宮の創建と云われています。その後文武天皇の命により社殿を造営しました。
第159回『金崎宮』
所在地:福井県敦賀市金ヶ崎町
金崎城合戦より五百年が経ち農民により経塚が発見されたのち明治の時代に尊良親王御墓所とわかりこの地に創立され金崎宮となりました。
第158回『寂光院』
所在地:京都市左京区大原草生町
寂光院は、玉泉寺といい、聖徳太子が用明天皇を弔うために建立したと伝えられています。初代住持は聖徳太子の御乳人であった玉照でその後、代々高貴な家門の姫君らが住持となり法燈を守り続けてきたことから尼寺として有名です。
第157回『伏見城』
所在地:京都府京都市伏見区桃山町大蔵
伏見城は豊臣秀吉が隠居後の住まいのため築かれたものです。また、伏見城の戦いで焼失し徳川家康によって再建されましたが、その後廃城となり跡地に桃の木が植えられた事から桃山と呼ばれ伏見城は桃山城、伏見桃山城と呼ばれるようになりました。