歴史散歩
第120回『北野天満宮』所在地:京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
菅原道真が左遷され、大宰府で亡くなった後、都では落雷などの災害が相次ぎこれが道真の祟りだと噂が広まり、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を授けました。その後右京七条に住む少女と近江国の神官の幼児に託宣があり、道真を祀る社殿を造営し神宮寺としました。
第119回『宮地嶽神社』
所在地:福岡県福津市宮司元町
古事記によりますと神功皇后が宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇を祀り船出したとあります。その後神功皇后の功績を称えお祀りをし 宮地嶽三柱大神のご加護により、どのような願いもかなうとして「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。
第118回『豊臣秀長の墓』
所在地:奈良県大和郡山市箕山町
豊臣秀長は、豊臣秀吉の弟で内外や軍事で活躍をし天下統一に貢献しました。領地は大和・紀伊・和泉・河内国で110万石の大大名となり官位は従二位権大納言の為、大和大納言と呼ばれていました。
第117回『泉橋寺』
所在地:京都府木津川市山城町上狛西下
ある年の事、木津川を使って材木を運んでいる時水嵩が少なく途中で止まり、水を堰き止めてしまいました。このままでは下流の田畑に水が行かなくなる恐れがあるので行基様に頼み雨乞の祈願をお願いしました。するとすぐに大雨が降り村人は喜びましたが、木津川が激しい流れとなって、川の中で働いていた人を呑み込んでしまいました。行基は自身の罪に嘆かれお地蔵様を供養する事にしました。ある日行基の枕元にお地蔵様が立たれ、「木津川を見守る為に日本一の高さにしてほしいが、立っているのは疲れるので座らせてほしい」と言われこうして作られたのが、泉橋寺のお地蔵様です。その後戦火や風雨があるのでお堂を作ろうとしましたが、「お堂が無いほうが木津川の流れが良く見える」とお地蔵様がお断りになったそうです。
第116回『洲本城』
所在地:奈良県吉野郡天川村坪内
三好氏の重臣・安宅治興が洲本城を築城しました。その後羽柴秀吉の淡路討伐により、城は仙石秀久に与えられましたが、仙石秀久が追放されたのち脇坂安治が城主となり、天守が造営され石垣の大改修の際「登り石垣」が築かれました。
第115回『天河大辨財天社』
所在地:奈良県吉野郡天川村坪内
天河大辨財天社は飛鳥時代に役行者が大峯開山の際に鎮守として祀られたのが始まりです。また空海が3年間大峯山で修行した場所でもあります。
第114回『島左近の墓』
所在地:奈良県奈良市川上町
島氏は、今の奈良県生駒郡平群町周辺を本拠にしていました。島左近は石田三成に2万石の俸禄で召し抱えられ、関ヶ原の戦い本戦において、黒田長政軍の鉄砲隊に銃撃され負傷し、陣に戻り手当てしたのち再び黒田長政軍に突撃し、銃撃により討ち死したと云われています。
第113回『興福寺』
所在地:奈良県奈良市登大路町
藤原鎌足の病気平癒を願い、山科国の山階寺を建立しました。山階寺は壬申の乱で藤原京に移り、その地名から厩坂寺と称しました。その後平城京への遷都に際し、鎌足の子の不比等は厩坂寺を現在の地に移転し興福寺と名付けました。
第112回『今治城』
所在地:愛媛県今治市通町
築城の名手の藤堂高虎によって築城され、堀に海水を引き入れ海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所となっています。
第111回『伊和都比売神社』
所在地:兵庫県赤穂市御崎
伊和都比売神社は、海上の岩礁にあった御社を江戸時代に浅野長直が現在の場所に移しました。明治に入り東郷平八郎が日露戦争開戦前に勝利祈願の為訪れたことから航海安全や大漁の祈願など、人々に信仰を集めています。
第110回『岡寺』
所在地:奈良県高市郡明日香村岡
岡寺は『龍蓋寺』というのが寺の名前です。この寺の名は、飛鳥の地を荒らし農民を苦しめていた龍を、義淵僧正が法力をもって池の中に封じ込め大きな石で蓋をし改心をさせた事からその名が付いたと伝わっています。
第109回『長寿寺』
所在地:滋賀県湖南市東寺5丁目
聖武天皇には世継ぎがいなかったので、良弁僧正に子宝の祈願を命じたところ子宝に恵まれた為、子の長寿を願い長寿寺を建立しました。さらに行基菩薩に子安地蔵を刻ませ本尊としました。