歴史散歩
第36回『南宗寺』
所在地:大阪府堺市堺区南旅篭町東
三好元長を弔うため、建立したのが南宗寺です。臨済宗大徳寺派で、千利休も参禅し後に禅の修行のように茶の湯の方法を確立し、茶人としての素養を深めました。
第35回『彦根城』
所在地:滋賀県彦根市金亀町
徳川家康の重臣の井伊直政が関ヶ原の功により、石田三成が治めていた、佐和山の地を与えられました。その後、後を継いだ直勝が彦根山に築城したのが始まりです。
第34回『長浜城』
所在地:滋賀県長浜市公園町
羽柴秀吉が浅井氏の領地を拝領した際に今浜と呼ばれていた地を信長の名から一字を貰い長浜に改名しました。また、琵琶湖から直接城内に船の出入りができるようになっていました。現在の彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられています。
第33回『久米寺』
所在地:奈良県橿原市久米町
久米寺は、聖徳太子の弟だった来目皇子が幼少の頃眼病で失明しましたが、薬師如来に祈願し治癒したのがきっかけで、寺が建立されたと云われています。又、久米仙人伝説にちなんだ寺でも知られています。
第32回『叡福寺と聖徳太子御廟』
所在地:大阪府南河内郡太子町太子
叡福寺には、聖徳太子やその母などが眠っているとされ、太子が亡くなった後推古天皇が、お堂を建てたのが叡福寺の始まりとされています。又、寺は一度兵火で焼けおちその後、豊臣秀頼が再興しました。
第31回『霊山寺』
所在地:奈良県奈良市中町
この地を治めていた小野富人は、登美山に薬草湯屋を建て、薬師三尊仏を祀って諸人の病を治されました。そして富人は鼻高仙人と称され尊崇されました。その後、孝謙皇女が病になった時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来をお参りすれば治るとのお告げがあり、すぐにお参りに行くと病が治りました。聖武天皇は大堂の建立を命令されました。
第30回『西行終焉の地』
所在地:大阪府南河内郡河南町弘川
西行の俗名は佐藤 義清といい、出家して円位、のちに西行と称しました。出家前は鳥羽院の北面武士として活躍をし、和歌に通じた人物として知られていました。出家後は、諸国を巡る旅に出て、多くの和歌を残しました。
その後、ここ弘川寺に庵居し、この地で入寂されました。
「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」
第29回『伊弉諾神宮』
所在地:兵庫県淡路市多賀
古事記・日本書紀には、国生みののち伊弉諾尊が、御子である天照大御神に国をまかされ、淡路島の地に「幽宮」を構えて余生を過ごされました。その後この地に、最古の神社として創始されたのが、伊弉諾神宮の起源と云われています。
第28回『金刀比羅宮』
所在地:香川県仲多度郡琴平町
金比羅宮の創建には、いろいろな説があり、その一つに大物主命を祀っていた琴平神社が、のちに仏教の金毘羅と重なり現在の金比羅宮になったとの伝承があります。また、海上交通の守り神とされているのは、大物主命が「海の彼方から波間を照らして現れた神」であったことに由来すると云われています。
第27回『矢田寺』
所在地:奈良県大和郡山市矢田町
創建は、今から約1300年前、大海人皇子が、智通僧上に命じたのが始まりです。その後、満米上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄え、日本のお地蔵さま発祥の地でもあります。
第26回『西大寺』
所在地:奈良県奈良市西大寺芝町
西大寺の創建は奈良時代に天皇が鎮護国家と平和祈願のために、金銅四天王像を造ったのが始まりとされています。 創建当時は百十数宇の堂舎があり、東の東大寺に対する西の西大寺でした。その後再三の災害に遭い衰退しましたが、興正菩薩叡尊上人が復興に当り、
密・律兼修の根本道場として、現在の西大寺になりました。
第25回『宝山寺』
所在地:奈良県生駒市門前町
宝山寺は、役行者が開山されと云われている修験道場で、空海も修行したとも云われており、当時は、大聖無動寺という名前であったそうです。その後、
江戸時代に湛海律師が再興し、歓喜天を祀ったのが事実上の開山と伝えられています。